これは私が新人の時、もう30年ほど前のお話です。
初めて担当をさせていただくことになった患者さん。穏やかであまりお喋りはしない男性でした。あいさつに行くとよろしくねと新人の私を快く受け入れてくれました。
肺がん末期でしたが幸い痛みのコントロールはできており比較的穏やかに過ごしていました。しかし、徐々に消化管症状が出てきて吐くことが増え、見ているのも辛い状態になってきました。私はと言うと吐物で汚れたシーツを変えたり、着替えをしたり、身体を拭きながらお話をしたり、何より口が汚れているのが見ていて辛くて悔しかったのでお口のケアをさせていただいていました。
そんな日は長く続かず、お別れの時が近づいてきたと予感される時が来ました。
お顔を見に行くと、その人はベッドサイドにうつむいて座っていました。○○さん、また明日来ますねと声をかけると突然顔を上げて『○○さん、頑張れ』と言われ、私が励ましに来たのに逆に励まされて何がなんだか分からず『はい』と答えました。
結局それが2人で交した最後の言葉となりました。
この言葉は強烈に頭の中に残っており、
あのような状況でやっと絞り出された言葉が未熟な私への叱咤激励であったことに感謝はもちろんありますが、その言葉の重みに押しつぶされそうに感じることもありました。
彼の魂の美しさに心が苦しくなるのです。
当時は今と違って人の命は無限では無いということを誰もが知っていたように思います。
病状が進行し、もう起き上がる事もできないほど体力がおちて意識が混濁し視線も定まらないような状況であるのに、
看護師に身体を起こさせ子供らに『頑張れ』と声をかけたお父さんもいました。
たくさんの思いを一言で伝える時に『頑張れ』となるのですね。
私にも最期の時がきたと分かることができたら娘達に頑張れと言います。